二本松農園の齊藤登です。
新年が明け10日となりました。
今年は、全国的に暖冬のようで、
福島県も温かい日が続いています。
例年ですと、雪があり畑仕事はできないのですが、
今年は、二本松農園にも雪はまったくないので、
早くも、きゅうり畑の土づくりをはじめました。
あと3ケ月過ぎると、震災丸5年となります。
震災後何か起きたか、復興の状況は?特に福島県農業の現状は?
いろいろご質問も受け、各地におじゃましてお話もしていますが、
それを今日からシリーズで、このブログで紹介していこうと思います。
全部で・・・・何百回にもなるかもしれませんが、
よろしければお読みいただければ、うれしいです。

福島県の被災の状況、復興の歩みをお話しする前に、
「福島県」そのものの歴史や風土を知っていただく必要があると思っています。
みなさん、福島県の面積は、全国第?位だかご存知ですか?
案外、福島県民でも分からない人が多いようです。
正解は・・・「第3位」です。一位は北海道、2位岩手県、3位が福島県ということになります。
それだけ大きな県であるということです。
しかし、昔からこのような大きな県であった訳ではありません。
明治の廃藩置県の前までは、3つの県といいますか国に分かれており、
それが集まったのです。
現在の会津地方は「若松県」、中通り地方が「福島県」、そして浜通り地方が「磐前県」です。
最後の磐前県は「いわさきけん」と呼びます。これらが、1876年(明治9年)に一緒になり、現在の「福島県」になったのです。ちなみに、この1876年は、細菌学者の野口英世が生まれた年です。
このように、福島県はもともと別々の3つの国が集まったもので、それぞれの間には「奥羽山脈」「阿武隈山地」がありますので、各地方で気候風土が異なっています。
今の時期、今年は暖冬ですが・・・例年ですと、会津地方は雪が多いですが、浜通りの特にいわき市は、「東北の湘南」といわれるくらい気候が温暖で雪はほとんど降りません。中通りはその中間ということになります。
県民の交流も、この3つの地方をまたがって横に行き来するということは少なく、生活としては、北の仙台、南側は、首都圏特に東京とのつながりが多いという状況でした。「でした」と過去形にしているのは、これは、震災前の基本的な状況で、震災後は、その県内での流通・交流の状況が随分変わってきている・・・変わらざるを得なかったという状況が実はあるのです。
(以上第1話)
福島県50農家による直販サイト
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- 2016/01/10(日) 09:07:00|
- 福島県の知識
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