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がんばります福島県農業!二本松農園ブログ

全国の皆様の応援をいただきながら風評被害と戦っています。~「助けたい」が経済を支えようとしています。~

連載「二本松農園の1000日」【1】

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2014年に発刊したこの本ですが、このたび、二本松農園代表齊藤登のブログで連載させていただくことにしました。2011年に発生した東日本大震災により、福島県農業は、放射能対策や風評被害で大きな影響を受けましたが、
実際、福島県の農業現場で、どのような事が起きていたのかは、なかなかまとまったものがありません。
この本は、福島第一原発から50km、二本松.農園がこれらにどのように取り組んできたかを農業者の立場から
ありのままに書いています。
これをご覧いただくと、福島県農業はもとより、広く消費者と農業者との関係、日本の農業の未来も見えてくるような気がします
。ぜひ続けてご覧ください。2019年1月10日から連載開始です。


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福島県内54の農家で直接運営 
里山ガーデンファーム
http://www.nihonmatsu-farm.com/




第1話

(さよなら、サラリーマン生活)
震災の1年前の、2010年3月31日、私は、福島県いわき市、ある県立高校の校門の前にいた。振り向けば、3階建の鉄筋コンクリート製の校舎がまぶしく青空に光っている。
日本でも有数の広い市域を持ついわき市。「東北の湘南」とも言われるように、いわき市は、気候が温暖で雪はほとんど降らない。映画フラガールの舞台としても有名な「スパリゾートハワイアンズ」があるように、南国の雰囲気さえある。この校舎は、そんないわき市の
中心部、巨大な新興住宅地のてっぺんにそそり立っていた。校舎は3階建で屋上には、大きな太陽光発電設備があり、その屋上からは、太平洋も見渡すことができた。よく、見回りがてら、その屋上に行き、海を見ていたものである。
私が、この高校に赴任したのは、わずかその1年前、事務長としてである。学校は、校長・教頭が頭に浮かぶが、事務長はあまりイメージできない。そのとおり、仕事と言えば、授業料の徴収責任、PTAの窓口、先生の給料の事務的管理など限られている。窓際的管理職なのである。
私は、昭和53年に福島県職員になった。それから32年。県警本部の事務。事務と言っても、麻薬・覚せい剤の取り締まり補助、その後、県行政に戻り、土木、企画調整。企画調整では、県の長期総合計画、観光といわゆる現場と企画畑で生きてきた。どの部署もそれなりに変化があって楽しかったし、自分の考えの実現もある程度できた。しかし、県立高校の事務長は、ちょっと違って、完全に管理職。そこには、新しい事を計画して実行するような余地はなかった。
併せて妻子を福島市に残しての単身赴任。高校に赴任して1ケ月で「この仕事、自分にとって3年はもたんな。」と思うようになった。もともと50才になったら、県職員を辞めて新しい仕事に・・と思ってはいたので。赴任して7ケ月目の11月、校長に「私は、この仕事に合わないと思うようになりました。50才になったら新しい世界に、とも思っていたので・・・来年の3月をもって退職したいと思うのですが。」と告げた。校長いわく「その方がいいかも知れませんね。齊藤さんを見ていると、もっと企画的というか、現場的というか、
民間的というか、そのような世界がいいのかなあ、と思います。実は、私も本当は校長など辞めたいと思う事があるのですが、現実的に難しいものです。そのように、新しい世界に向かっていける齊藤さんがうらやましいと思います。」と、あっさり承諾。校長と教頭とは、毎月3役会議と称して、酒飲みをして、本音で語り合っていた。校長も教頭も実は人の子。
彼らにとってストレスのたまる場でもあったのである。しかし、そんな事を心をわって話す事のできる校長・教頭が、私は心から好きだった。だから、私が、退職したいと言っても、
自分の気持ちと照らし合わせ、OKと言ってくれたのだと思う。
それから4ケ月。今日退職を迎え、校舎を後にした。もうこの場所に戻る事はない。32年間の県職員生活に戻る事もない。しかし、さみしさはなかった。明日から始まる「農業」という世界に希望があったからである。車のバックミラーに遠ざかる校舎。まさか・・・それから1年後、震災でこの校舎に避難してきた高齢者が多数死亡するような事が起きるとはその時思いもよらなかった。

(農業1年目)
いわき市の県立高校を後にして2時間後、私は福島県二本松市の東部、阿武隈山系の山の中にある二本松農園に到着した。ここは、私が50年前に生まれた地。もともと農業を主として生計をたてていたが、規模は、畑1ヘクタール、水田2ヘクタール程度でそんなに大きい農家ではなかった。私が専業として農業を行うためには、もう少し規模が必要ということで、4ケ月程前から、隣接する耕作放棄地を借り受け、開墾を行うともに、水田も借りて、この時点で畑が約2ヘクタール、水田が4ヘクタール程度になっていた。
今日は、3月31日、農園の主たる作物である夏の露地きゅうりの栽培のためには、もう畑づくりを始めなければならない。農園に着くと、牛の堆肥を積んだダンプカーが畑にいた。堆肥を畑に下し、帰ろうとしたところ、坂でダンプカーが動かなくなってしまった。農園のバックホーを持ち出し、ダンプカーの尻を押したり、道を削ったりしてようやく脱出。これを背広を着たまま行ったため、体からはぷ~んと牛堆肥の臭い。その夜、福島市内で昔の職場の仲間が懇親会を催してくれたが、みんなから「なんか、もう農業の臭いがするな。」と笑い。
楽しく、希望に満ちた出発だった。

露地きゅうりは、7月下旬から収穫になる。そのためには、さかのぼって、2ケ月前の6月上旬に苗の定植(畑に苗を植えること)。その2ケ月前の4月には、畑づくりを行う。できるだけ、農薬や化学肥料は使いたくないので、山の木の葉で作った堆肥や、近くの畜産農家から出る牛堆肥を畑づくりの基本とした。きゅうりの場合、きゅうりをからませる金属製の「支柱」も畑に設置する必要がある。支柱の間隔は2mで、この年、露地きゅうりを1ヘクタールも栽培したので、支柱の延長も相当のものである。支柱を立てると、次は、それを針金で固定し、網をかける。きゅうりは、どんどん成長してくるので、これらの作業も急がなくてはならない。
ひとくちに1ヘクタールというが、きゅうりとしては相当の面積である。きゅうりは、どんどん成長する植物なので、実をつけはじめると1日朝夕2回収穫する必要がある。それを畑から作業所に運び、1本1本サイズごとに選別し、その日の11時には、農協の集荷所に箱づめにしたものを持ち込まなくてはならない。かなり、手間のかかる作業なので、普通の農家だと20アールから、せいぜいやっても50アールが限界である。それを無謀にもその倍の1ヘクタールも栽培した。
スタッフがいるから大丈夫だろう、という私の考えからだったが、そんな生優しいものではないということは後になって分かった。
きゅうりと並行して、水田の作業もある。この年4ヘクタールの水稲を栽培した。水田に牛堆肥を入れ、トラクターで耕し、水を入れ、代掻き(しろかき)をして、田植えにこぎつける。田植えまで様々な作業を伴うため、こちらも時間との戦いである。
7月上旬、いよいよきゅうりの実がつきはじめた。順調である。いちばん最初にきゅうりを定植した畑は、近所の農家が長い間、野菜畑として使用していたところなので、きゅうりも順調に育っていった。朝6時から1回目の収穫を行い、それを作業所に運び、1本1本、サイズ A・B・C・S・AS・AL・L・規格外というように選別し、それを5キロ入りの箱に入れていく。7月中旬には、この箱が1日100箱程度出るようになった。午前11時には、この箱をトラックに積み、近くの農協の集積所まで持ち込む。そこにトラックがやってきて、他の農家のものも積み込み、二本松インター近くの積み替え場所で、再積み替えを行い、夕方には、東京の大田市場か、大阪・名古屋に向けて「きゅうり」が出発する。
夏場の福島県産きゅうりはブランドになっている。暑さで、九州や埼玉産がとれなくなるので、ちょうどきゅうりの需要が最も高まる8月、福島県産がほぼ独断場となる。価格は、5キロの箱で、採算ベースがA級で1200円程度、安いときは1000円を切ることもあるが、逆に2500円になることもある。きゅうりは、このように価格差が激しいので、農家の間では「博打」と呼ぶ人もいる。
この年、きゅうりの相場は、お盆前までは、1200円程度で推移し、お盆過ぎから、2500円以上をつけるような高値になっていた。味の面でも福島県産露地きゅうりは抜群である。気候がきゅうりに合うということであろうか。
しかし、この年、8月になって、大変な事になってきた。雨が降らないのである。きゅうりは、水のかたまり。これが不足すると生育に大きく影響を与えていく。だからといって、通常、露地きゅうりの畑にパイプを引いて水を与えるような事はしない。きゅうりが水を求めて、どんどん地中に根を張っていくようにする。これにより、がっちりとした木になり、それがきゅうりの味や形も良くすることになるからだ。なので、畑は、できるだけ土を柔らかく、根が張りやすいように、堆肥や木の葉、稲わらなどを畑に入れて、ふわふわの土にしていく。よっぽどの日照りにならなければ、30センチぐらい地中に入れば、水分があるからである。
しかし、この年は違った。雨が異常に降らないのである。6月の梅雨の時期は雨が多かったが、梅雨が明けて、7月の10日頃から8月中旬までまったく雨が降らなかった。日ざしも非常に強い。地球温暖化の影響だと思われる。こうなると、さすがに、畑に水をまく必要がある。しかし、農園のきゅうり畑は1ヘクタールもある。水を入れるといっても、設備自体から準備する必要がある。きゅうり畑の近くには、水田用の疎水が通っている。直径1メートル以上の巨大なパイプで阿武隈川の水を引いている。「この水を使えれば・・」と通常思うが、これは水田用として整備されているので、絶対、それを目的外の畑に使用することはできないのである。なんという縦割り。同じ農産物なのに、水稲用の水は、野菜には使ってはいけないなんて。関係機関に聞けば「疎水は水田用の予算でつくっているので、目的外使用は絶対ダメ。」とのこと。唖然とした。しかたがないので、農園内に古い井戸があったので、その水を使用したが、広いきゅうり畑では、20分も水をまくとなくなってしまった。下の川から揚げようとしたが、畑までは、20メートルほど落差があるため、ポンプではなかなか揚がらない。そのため、急きょ途中に池をつくり、いったんそこまで川の水をあげ、そこから2段目のポンプで畑まで揚げることにした。しかし、広いきゅうり畑、ポンプで揚げた水の量では焼け石に水である。強い太陽の光で、大切なきゅうりの木がどんどん弱っていくのがわかる。身を削られる思いであった。少しでも助けたと思い、夜中、ビニールパイプを抱えて、畑をはうようにして少ない水を引いた。涙がこぼれた。
8月7日頃から、きゅうりの木は目に見えて弱っていった。実もあまりつけなくなった。
形も曲がっていく。
こうなると、市場ではきゅうりが少なくなるので、どんどん値段があがっていく。この頃から5キロ1箱で2500円以上となっていく。しかし、肝心のきゅうりがならない。
お盆には、雇っていたパート従業員7人に「ゆっくりお盆休みをとって欲しい。」旨告げたが、その後、復帰するまでにはいかなかった。
9月11日、この年、最後の露地きゅうりの収穫を終えた。通常であれば、10月中旬まで収穫しなければ採算がとれないところであるが・・・、日照りでまったく木が弱り、病気も蔓延したのでしかたない。エンジン除草機で切り倒していった。
7人の農園スタッフも心配顔であった。二本松農園はきゅうりで経営しているのに、大丈夫なのか・・・。スタッフに「みんなは一生懸命やってくれたのに、私の技術不足で申し訳ない。来年に向けて、しっかりとした土づくりをしよう!」と言った。
あまり知られていないことだが、大規模に野菜づくりをするためには、相当の資金がかかる。きゅうりも1ヘクタールも栽培するとなると、支柱が数千本、張り巡らす針金、ネット、苗、きゅうり専用の化学肥料、消毒、消毒のための機械などなど。1千万円以上の収穫を見込み、初期投資ということで、それ以上にお金をかけたが、実際は、収穫が予定の3分の1以下だったため、かなりの赤字である。7人のスタッフの給料も毎月払わなければならないので、県職員の退職金は、秋には底をつきはじめる。「どうやって、来年のきゅうりの時期までつないでいったらいいのだろう。」そんな思いがめぐる。
秋、稲刈りを終えた。予定よりは、収穫量は少なかったが、貴重な現金収入としてありがたかった。年末には、個別所得補償などの補助金も出るため、これらにより、何とか春までつなぐことにした。

(農業経営・ネットショップ)
農業の経営がそんなに甘いものでないことは覚悟していた。小さい頃から父と母の苦労を見ていたからである。二本松農園のある福島県阿武隈山系は、昔、養蚕が盛んな地域であった。しかし、安い中国産が入ってきたことにより、昭和40年代の後半からは、養蚕は急激に衰退していく。たばこ栽培もダメ、野菜・米・牛の飼育もしていたが、これでも食べていけず、父は大工をはじめ、母は、農作業のあいまに、家政婦もしていた。養豚は高値の時には良くて、父はよく「子供の大学は豚で出したようなものだ。」と言っていた。しかし、それも長続きはしなかった。子供の教育が終わると、父と母は、「なす」と「きゅうり」を栽培するようになった。きゅうりの栽培は大変であるが、1年を通すと、他の野菜よりは単価が高いために、なんとかやっていけたようである。
そんな、両親の苦労を見て育ち、せっかく、県庁職員になったのに、なぜ、それを辞めて、苦労の多い農業をやるのか?よく人に聞かれる事である。なぜなのだろう・・。自分でも正直分からない部分がある。でも、50歳からは「自分で判断できる、自分で決めることのできる、自分のしたい仕事」をしたかった。なので、仕事は実は、農業に限定するものではなかった。「独立して、自分にできることが何かあるか?」と考えたが、見つからなかった。そのうち「そうだ、農業だったらできるのではないか。小さい頃から両親と農業をやっていたし、畑と水田をもっている、というのは自分の武器ではないか」と
思うようになった。「農業は大変と誰もが言うが、それは、従来のやり方でやっているからで、六次化やIT等を組み合わせれば、自分なりの、新しい農業ができるのではないか。」
「大変な世界だからこそチャレンジしてみたい。」こうなると夢と希望で満ち溢れ、すぐに実践してみたくなるのが私の性格である。あえて、苦労をしてみたい、というのも、また私の癖、なのである。
なので、農業1年目も、「人が難しいという事を、とりあえず全部やってみよう」と思った。どれくらいダメなのか、経験してみないと分からない。経験してみたい。このため、無謀とも言えるきゅうり1ヘクタール栽培、これで、農業経営をしてくのは難しいと言われる農協への出荷。併せて、ネットショップによる野菜の販売。などなど。
1ヘクタールのきゅうり栽培は、1年目は日照りも重なり失敗となった。退職金もかなり失った。農協へ出荷してみて分かった事は、「農協への出荷は価格が安定しないため、これで経営計画を立てる事は難しい。」という事である。価格が2~3倍も変動していくようではとてもそれで経営を成り立たせていくことはできない。また、農協出荷は、どんなに作物に「こだわり」を持って栽培しても、すべて、形や大きさで決まるため(共同出荷)、付加価値がでない。これでは、やりがいがない。という事も分かった。ただし、農協出荷の良い点もある。それは、よっぽどの不良品でない限り、全て買い取ってくれるということである。野菜は毎日生産されるので、これをすべて販売するということは農家にとってとても大切な事になる。せっかく作ったのに無駄にしたくない。なので、全量買い取りをしてくれる農協はありがたいのである。ベテランの農家や果樹農家などは、お得意様に直接販売し、残ったものを夕方農協に出荷する、という事が多い。
ITを使った農業については、私自身懐疑的であった。「野菜を、高い宅配料を払って買う人は少ないはず。米だとニーズはあるだろうが。」と思っていた。実はこのとおりで、農業をはじめた2010年6月に、二本松農園にネットショップを開設したが、それから震災の起きるまでの10ケ月間の販売は、年間トータル10万円程度で、決して売れたというレベルではなかった。しかし、ネットショップやホームページを持っていると、農園の知名度があがり、農園を訪れる人は増える。このような事が1年の農業経験で分かった事である。
(震災前の冬)
夏のきゅうり栽培は、さんざんな目にあったので、この冬は原点に返り、徹底した「土づくり」を行う事にした。
近所の山から木の葉を集め、トラックで農園に運び牛堆肥と混合して農園独自の有機肥料をつくる。荒れた水田や空地には大量の草が生えているので、それを刈り取り、これも農園に運び、バックホーで畑に穴を掘り、そこに、刈り取った草を大量に入れ、覆土していく。
このようにすることにより、地中が柔らかくなり、きゅうりの根が張りやすくなるため、結果として夏の日照りにも強くなる。
「竹粉」にも注目した。
二本松農園のある鈴石地区(村)も高齢化が進み耕作放棄地が広がってきている。耕作を放棄した畑には、2年もすぎると竹が入り込んでくる。私は、この耕作放棄地解消にも取り組みたいと思ったので、2009年の冬から家族とともに、耕作放棄地の開墾を行っていた。うっそうとした竹林の竹を一本一本のこぎりで切り倒し、根は、バックホーで掘り起こしていく。気の遠くなるような手間のかかる作業である。
2010年の冬も、この竹林の開墾作業に取り組んでいた。ある日スタッフが「竹を粉状にして畑に入れましょう。そうすれば、畑がふわふわになって根が張りやすくなるほか、竹の養分で畑が肥える。」
竹パウダーを作る機械を持っている人を聞きあたり、竹粉を大量に購入、これを使って、冬から春にかけて、「ほうれん草」を栽培することにした。耕した畑に竹粉を筋状にまき、そこに、ほうれん草の種を撒いていった。寒い冬でも竹粉のところは暖かいので、竹の養分も手伝って芽が出るはず・・・と思った。面積は40アール。一口に40アールと言っても、面積的には10メートル×400メートルであり、相当の面積である。
このような有機的な方法で野菜づくりにチャレンジするのは、すこぶる楽しい。はたして芽が出るだろうか、大きく育つだろうか、味は・・・。考えるとわくわくする。スタッフも同じ思いだった。
よく、「有機栽培」とか「有機農業」などと、有機栽培が特別の行為のように言われるが、二本松農園にとっては、「有機」は別に特別な事ではなく、近所の山にある木の葉を使うし、
草はすき込むし、竹も粉にして使いたいと思う。私は、有機農家と慣行農家(有機農法以外の農家で昔ながらの化学肥料等を使った農業)を区別して論じるのがあまり好きでない。慣行農家という言い方も、なんか、工夫なく農業をやっているようで差別的である。慣行農家であっても、できる限り、農薬や化学肥料は使いたくないと思っているし、自然のものを使ってやろうとしている。作物に対する思いは、有機農家であろうと慣行農家であろうと同じだと思う。二本松農園では、できる限り農園の近くにある有機資材を使って栽培しているが、
でも、すべてそうはいかない面もある。たとえば、きゅうり栽培をしていると、ベトやウドンコと呼ばれる病気が蔓延することがある。早い時には、3日ぐらいで畑全体に広がり、収穫がおぼつかなくなる。なので、そうならないように、定期的に消毒で病気を予防する。しかし、その回数をできるだけ減らすために、しっかりとした土づくり、苗づくりに努力していく。化学肥料もあまり使いたくないが、病気になりにくく、収穫量をあげるためには、
「きゅうり専用」と呼ばれるような化学肥料を少し使う。それで危険性があるようなレベルではなく、基準の3分の1以下程度にしている。化学肥料と有機的な肥料とを組み合わせ野菜づくりを行うと、多様な栽培方法として、おいしいきゅうりづくりにもつながっていく。

竹粉を使った、初めてのほうれん草栽培。ワクワクして芽が出るのを待っていたが、なかなか芽が出てこなかったが、2月下旬になって、ようやくかわいい芽が出はじめた。
スタッフみんなで、「芽が出てきたよ」と言って喜んだ。畑周りの雪も融けはじめ、春の息吹が少しずつ感じられる頃であった。しかし。それから2週間後、激震が二本松農園を襲う。【第2話に続く】














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  1. 2019/01/10(木) 09:34:29|
  2. 二本松農園の1000日
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    福島県二本松市の里山ガーデンファーム・二本松農園です。 長年きゅうりを作ってきましたが、2010年4月からWEBショップ、きゅうりもぎ取り体験も始めました! ブログ担当スタッフSは福島初心者です。 日々の発見を綴っていこうと思います。

    【福島県】里山ガーデンファーム 二本松農園 代表 齊藤登

    Author:【福島県】里山ガーデンファーム 二本松農園 代表 齊藤登
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